医療法人帰陽会前史−故高山欽哉先生の業績



医療法人帰陽会の母体である丹羽病院は、元をただせば、ファイバースコープもなかったころから故高山欽哉先生が当時としては先進的な経腹胃鏡や膵生検を行なっていた山北村の小さな茅葺きの診療所を出発点とする。従って医療法人帰陽会の歴史を語る場合、その前史として高山欽哉先生の偉業に触れざるを得ない。
高山欽哉先生は大正6年3月の生れで、一高から千葉医大に入学し、昭和18年に卒業。終戦後しばらくは国立相模原病院外科に勤務されていたが、昭和24年、神奈川県足柄上郡山北町で奥様のお父上が開業されていた丹羽診療院を継いで開業された。
そこで一介の開業医として地域の医療に携わる一方、昭和30年頃から消化器病の臨床研究を開始し、当時はまだ黎明期とも言える消化器内視鏡の研究を始め、さまざまな分野で先進的な研究と臨床応用を行われた。また内視鏡だけではなく、当時暗黒の臓器と言われた膵臓疾患診断に最も早くから取り組んだ学者の一人であり、さらに形態的な診断や外科治療だけではなく、胆膵の機能障害や食餌療法にも取り組み、心療医学においても業績が多く、全人的医療を実践された先生であった。
平成4年に高山先生が亡くなられた後、それまで名誉会長を引き受けてこられた神奈川消化器病医学会の6月の研究会の中で、特別企画としてその業績が「経腹胃鏡」の映画とともに発表された。言わば日本の消化器病学、および消化器内視鏡学の影の歴史とも言うべき高山欽哉先生の業績内容をここに掲載する。
故高山欽哉先生の主な仕事
1.内視鏡関係(1958年〜1966年)
・吊り上げ式腹腔鏡
・経腹胃鏡による胃・十二指腸疾患の診断
・直腸映画法
・経腹胆嚢鏡
2.胆道疾患および胆道造影法に関する研究(1960年〜1976年)
・腹腔鏡下直接胆嚢穿刺造影法
・胆嚢内視鏡と胆石摘出術
・鎮痙剤併用ビリグラフィン静注胆道造影法
・胆道ジスキネジーの診断と治療
3.膵疾患診断に関する研究(1963年〜1973年)
・膵生検法の開発
上にあげたように高山先生の仕事は消化器病全般にわたるわけであるが、特に初期の仕事は日本の消化器内視鏡の歴史と深く関わっている。
またそれ以外にも消化器病社会保険研究会などを主催し、保険診療上の改革を通じて地域医療への消化器病診療手技の普及に尽力された。たとえば昭和37年に開催された第1回神奈川県消化器病研究会のプログラムを見ると、「内視鏡と保険診療」と題したシンポジウムを司会し、県保険課の技官と支払基金担当官を壇上に上げてのディスカッションを行なっている。
以下の表の左が消化器内視鏡発展の歴史、右がそれに関わる高山先生の主な仕事である。
消化器内視鏡の歴史と 故 高山欽哉先生の業績 | ||||
西暦 | 和暦 | 世界での内視鏡発達史 | 高山欽哉先生の仕事 | |
1868 | 明 1 | Kussmaul | 体外光源証明による胃鏡 | |
1911 | 44 | Elsner | 硬式胃鏡 | |
1922 | 大 11 | Shindler | 硬式胃鏡 | |
1932 | 昭 7 | Shindler | 軟性胃鏡の完成 | |
1934 | 9 | 桐原 | 国産軟性胃鏡の制作 | |
1948 | 23 | Segal | 軟性胃鏡によるカラー写真撮影 | |
1950 | 25 | 宇治 | 胃カメラ撮影に成功 | |
1953 | 28 | 崎田,城所 | 胃カメラの臨床応用開始 | |
1958 | 33 | 常岡,山川 | 腹腔鏡の臨床応用開始 | 実地外科医と腹腔鏡 |
1958 | 33 | Hirshowitz | ファイバースコープを試作 | 経腹胃鏡の開発と臨床応用 |
1960 | 35 | ACMI | ファイバースコープを発売 | 経腹胃鏡による映画撮影 |
1960 | 35 | オリンパス | 胃カメラ(GT-X)発売 | 十二指腸の内視撮影法 |
1961 | 36 | 崎田,丹羽 | 撮影用直腸鏡 | 直腸の内視撮影法 |
1962 | 37 | 日消学会 | ファイバースコープを輸入 | 生検用経腹胃鏡の使用 |
1963 | 38 | 町田製作所 | 国産ファイバースコープ試作 | 経腹胆嚢内視法 |
1964 | 39 | 町田製作所 | 生検用ファイバースコープ完成 | |
1966 | 41 | オリンパス | ファイバースコープ付胃カメラ(GTF-A) | |
1968 | 43 | 芦沢 他 | 十二指腸ファイパースコープ |


胃鏡の歴史は1868年の Kussmaul に始るといわれているが、研究的にでも臨床応用と言えるのは 1932年 Shindler の軟性胃鏡からである。そして1950年には盲目的に胃内の撮影を行う胃カメラが開発された。一方肝疾患に対しては腹腔鏡が実用化され、その臨床応用が開始されたころ、山北の町の診療所で盛んに腹腔鏡を行っていた外科医が高山先生でてあった。
当時の胃カメラは非常に盲点が多く、画像も不鮮明であり、一方現在の内視鏡の原型であるファイバースコープはまだ日本では臨床使用も始っていない時代で、ドイツからHirshowitzのファイバースコープが日本に2台輸入されたばかりであった。この頃に実は高山先生は東大にある胃鏡研究者を訪ね、教えを乞うたそうであるが、その時は「田舎の診療所の開業医がやることではない」と険もほろろに断わられたと言う事である。
この事がきっかけとなり、それまで独自で行っていた腹腔鏡による胃内部の観察を考案し、それを「経腹胃鏡」として発展させ、単なる観察からその当時としては世界的にも画期的であったカラー映画撮影や、その頃ではまだ実際は誰も成功しなかった十二指腸の内視観察、直視下生検による早期胃癌の診断、胆嚢内視鏡など次々と学会発表を行っていった。
しかし当時はこれらすべての仕事が世の中よりあまりにも先んじていたことで、世間からは十分な理解を得たとは言えなかった。やがて世の中はファイバースコープの時代へと移り、電子内視鏡の出現で今や経腹胃鏡をはるかに超える画像と治療応用が可能となった。
学問の発展の歴史は、その本流からだけではなく、それを側面から支え、押上げてきた多くの先達の存在を抜きにして語ることは出来ない。Shindlerの軟性胃鏡の苦労と習熟が Hirschowitz のファイバースコープの長所短所を浮彫りにし、胃カメラの静止画像と経腹胃鏡の鮮明な動的映像が今日のより理想的な内視鏡へと結びついていったのである。
高山先生はその後、日本消化器病学会特別会員、日本消化器内視鏡学会評議員、日本膵臓病研究会運営委員、胆道疾患研究会幹事、消化器PSM研究会幹事などを歴任され、昭和56年からは神奈川県消化器病医学会会長、昭和63年からは神奈川県消化器病医学会の名誉会長として最後まで我々の指導にあたられたが、平成4年、74才の年齢にてご逝去された。
参考文献 | |
1)高山欽哉,松村利男、平井昭典実地外科医と腹腔鏡日本臨床外科医会雑誌.20:197,1959 |
11)高山欽哉胃内視法の盲点の研究第2回胃カメラ学会総会 (1960) |
2) 高山欽哉、辻 裕、松村利雄、平井昭典実地医家に便利な腹壁小切開直診法日本臨床外科学会総会(1959) |
12)高山欽哉、坂本光弘、辻 裕、永瀬敏行試作組織採取用経腹胃鏡の使用経験第4回日本内視鏡学会総会 (1962) |
3)高山欽哉、松村利雄、辻 裕、平井昭典安全、容易、確実な肝バイオプシー法日本臨床病理学会 (1959) |
13)高山欽哉、坂本光弘、辻 裕、永瀬敏行内視鏡の光源はもっと強化すべきである。第4回日本内視鏡学会総会 (1962) |
4)高山欽哉、松村利雄、辻 裕、平井昭典腹壁小切開直診法(第一報)(肝胆道疾患就中胆石症に於ける応用) 日本消化器病学会総会(19xx) |
14)高山欽哉経腹胃鏡検査法及び経腹胆嚢造影法について日本内視鏡学会第4回近畿地方会(1963) 特別講演 |
5)高山欽哉腹壁小切開直診法(第二報)日本消化器病学会(1960) |
15) Kiny aKoyamaA new approach to the diagnosis for the alimentary organs by means of Peritoneoscopeand other improved instrument Proc.1st cong. Int. Soc. Endoscopy ;520,1966 |
6)片平重次、高山欽哉、松村利雄、辻 裕、坂本光治、平井昭典腹壁小切開直診法(第三報)(主として16mmカラー映画による胃粘膜像の動的所見に就て) 日本消化器病学会総会 (1960) |
16)高山欽哉最近経験した膵炎様疾患に就いて日本消化器病学会 (1968) |
7)片平重次、高山欽哉、辻 裕、坂本光治、松村利雄、平井昭典腹壁小切開直診法(第四報)(主として臨床的経験に基づく諸考察に就て) 日本消化器病学会総会 (1960) |
17)高山欽哉胆膵私感クリニシアン No.168 Page 13 1968 |
8)高山欽哉、坂本光弘、辻 裕十二指腸粘膜の内視撮影法について(1960) |
18)高山欽哉私の圧診法上腹部不定愁訴台所説によるスクリーニング法 クリニシアン No.176 Page 6 1969 |
9)高山欽哉、坂本光弘、辻 裕直腸内視撮影に於ける各種内視鏡の応用に就いて日本消化器病学会総会 (1960) |
19)高山欽哉、中島義麿、平塚秀雄、亀谷晋、福井光寿開業医と胃生検胃と腸 5:907-911,1970 |
10)高山欽哉16ミリ映画による経腹胃鏡診断の経験第2回胃カメラ学会総会 (1960) |
20)高山欽哉、伴精一郎、藤田峻作、巖原實、永瀬敏行膵障害スクリーニング上の二、三の問題に就いて第3回日本膵臓病研究会(1973) |
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